一柳の感想文、反省文、ポエム

感想文、反省文、ポエムを書きます。

師を社会学に殺されたってどういうことよ

僕にまとまった社会学を教えた(少なくとも教えようとした)のはある大学院の先生だった。
決して高圧的でもなく、無愛想なわけでもないのだけれど、近寄りがたいオーラを放っていた。
初めて対面した授業で、先生と呼んだ僕に「先生と呼ばないで下さい。いや、先生と呼んでもいいのですが、そういう人からは、距離をとります」と無表情で答えたのだから、近寄りがたいというのはその時の印象が強かったのかもしれない。今の僕だったら「うわー、先生、面倒くさいタイプの人間っすねw」ぐらい返せたのかもしれないが、まだ23歳の僕にはそんな余裕もなく、「あっ、はい。ええと、あ、皆さんはAさんと呼んでますか。では私もAさんで」という態度しか取れなかった。

敬意を払い、この文章でもAさんと呼んでおこう。

Aさんは人付き合いが苦手なタイプだったけれど、学生、院生思いのいい教員だった。数学がまともにできない院生たち相手に丁寧に教えていた。口数も少なく声に抑揚もあまりなく。
そのAさんが感情をあらわにしたのは、ある院生が修論構想の発表したときだった。発表者の院生は現職の中高の教員で、教員免許をグレードアップするために大学院に来た人だった。指導教員に量的研究をするように進められて、授業の「成果」の工学的なアプローチをする予定だった。Aさんは
「その量的研究は嘘っぱちだ、というよりそういう授業の『成果』を量的にまとめるほぼすべての研究が嘘っぱちだ。指導教員は何をやってるのか」
と怒り出した。
「早寝早起き朝ごはんをする子どもは成績がいいといったって、今までしていなかった子どもたちに早寝早起き朝ごはんをさせたって、成績が上がるわけではない。規則正しい生活を送らせてきたような家庭の子の成績が高いだけだ。もし早寝早起き朝ごはんをさせることで成績が上がったとしても、それ以上に階層などの要因が強いんだ」
だんだんとトーンが落ちてきた。
「こんなのは研究じゃない。こんな研究して何の意味があるのか」
そういったあと少し無言になって、またいつもの声で
「現職の教員は我々より多くのことが見えているはずです。ですからもっと質的な研究をやってはいかがでしょう」
そういって、その日は終わった。

Aさんがいう、こんな研究は意味がないという「こんな」が、Aさん自身の研究や(教育)社会学全体のことを指しているような気がした。
それからほどなくして、学部時代に一番お世話になったであろうS先生に会う機会があったので、相談してみた。
「S先生、Aさんとは面識がありますでしょうか」
「ええ、よく知っていますよ。若くて優秀でねぇ」
「Aさんが何かこう、研究に行き詰まったというか、もっと深い、こう絶望というか、そんなものを抱えているような気がするんです」
S先生はニコニコしながら
「いいですか、一柳さん。研究なんてすぐ詰むんです。この業界で詰んだとき、多くの人は3つのうちのどれかをします。実践に行くか。言説に行くか。比較に行くか。僕はAさんが実践に来てくれることを願ってますよ」

そんな話を聞いたものだから、僕はすっかり安心してしまった。その年、僕は修了せずに早々にドロップアウトして、高校教員になった。
すっかり安心したというのは嘘だ。それからも気にはなっていた。大きな学会でAさんが司会したり発表したりするというのを聞くたびに、研究から離れた自分も、議事録などに目を通すようにしていた。
なるほど、確かに希望のようなことを書いている。S先生のいう通りになるかもしれない。

そんなことがあってから、2年ほど経って、またS先生たちと飲む機会があった。Aさんのいる大学院に、そのまま修了した僕の仲間もいた。その仲間はいきなり切り出した。
「Aさんが自殺した」
ショックだったが、それほど驚かなかった。安心してた自分はアホだったなあ。彼には、ああ、とだけ答えた。それで彼の次の情報を待った。
「ずいぶん前から遺書なども用意してあったらしい。自殺するようには見えなかったんだけどな。みんなも予想外でびっくりしていて……」
そうは見えなかったと彼らは言う。本当だろうか。僕にはかなり追い込まれていたように見えたのだけど。僕よりはるかにAさんと顔を合わせる機会の多かった彼らは何を見ていたのだろう。彼らに少し苛立ってしまった。
彼らはAさんほど真面目に社会学を考えていない。彼ら院生だけじゃない。他の教員たちも真面目に考えていなかった。ネオリベに仲間したり、適当に政治権力に食い込もうと御用学者やったりして。
何のためにこいつら社会学やってきたんだ。お得意の想像力はどうした。
そうだ、S先生はどう思ってるんだろう。S先生には、Aさんが思いつめていたのは伝えてある。そう思って何も言わずにS先生の方を見た。S先生は何て言うのか。
「幼い子がいるのに、無責任すぎる! 今までのAさんの研究はなんだったのか」
急に怒り出した。困惑した。いつもニコニコしているS先生からは想像できなかった。
S先生は社会学ではないが、真面目に学者をやっている。だからこそ、Aさんが真面目に考え、真面目に躓いていたのがわかったのだろう。

僕はこのあたりから社会学全般に不信感を持つようになったんだけど、ここまで書いてすっきりしてきた。書くことで、自分の整理にもなったのかもしれない。今日はここでおしまい。